« お酒で占う相性編 | メイン | July, 12 »

July, 11

美容院で読んでた雑誌のコラムがちょっと面白かったデス。以下うろ覚えの箇条書き引用。

・「悩みがなさそうでいいわねー」の発言は「私のほうが『悩む』という知的な行為に耽っている」という優越感の裏返し
・悩んでいない人は、悩んでいる時間があったらその分幸せに向けて一歩行動をしている
・悩んでいる人は、人一倍幸せを希求しているけれど、頭で考えるばかりで行動力が伴わない

「悩みなさそうでいいね」とはよく言われましたが、正直言われて不愉快な台詞のひとつでした。
言ってる人から優越感と同時に不幸酔いを感じたからかしら。
でも、それだけ幸せに向けて行動できてるってことで、肯定的に捕らえてもいいのかもな。

どうせなら、無為に悩むのでも無闇に動き回るのでもなく、どうすればより幸せになれるのかをきちんと考えた上で幸せになるために行動をしたいもんですが。

以下は宗教にまつわるお話の一人語り。
日本で「宗教」というといわゆるカルト宗教だと思われそうですがそちらではないです。

Skype相手に教えてもらったのですが、『悪魔の詩』という書物を邦訳した五十嵐一という方の殺害事件の時効が成立したのだそうで。
事件の経緯は今ひとつ日本人的にぴんと来ないものではあるのですが。

つい先ごろも、「わたしはムハンマドを描いてはいけない」という文言を並べてムハンマドが浮き上がってくるような絵を描いたイラストレータ、ならびに、その絵を掲載した各国の新聞社と、それに反発するイスラム諸国でもめてたような気がします。
それについてイスラム圏に興味を持つ人から意見を聞いたのですが、偶像崇拝が禁止されているイスラム教において、絵を描いたこと自体がものすごい侮辱なのだそうで。
これを日本人にも解りやすい例であらわしてもらったんだけど忘れちゃった。

でもいろんな宗教において、認識って違うじゃないですか。
たとえば日本人が「うげ」と思う鳥葬は、資金が必要になるためその宗派においては全員ができるわけじゃない名誉の遺体処理ですし。
なんかの宗教(たしか仏教系だった気がする)では、死は神に近づくことが出来るおめでたい事象だからと、お葬式がどんちゃん騒ぎだった気がするし。
さらに葬式でいけば、日本の火葬(骨残すやつね)も欧米人が見たら生理的嫌悪感覚えるとか言うし。
タイの映画でエンディングに主人公が出家してたのを「ハッピーエンド」としていたのもありましたね。タイでは出家することが存命中の最高の幸せだから、らしいけど、感覚的に「?」となったのは否めません。

ああ話がずれてきた。
まあ、宗教や習慣ごとに、これだけ差異があるんだよ、ということ。

宗教って結局自分の根幹を成すもの。
日本人は無宗教、と言われますが、「お天道様に顔向けできない」という感覚ありません?
それはそれでひとつの宗教なのですよ。

多神教に一神教、獣形の神に人型の神、土着宗教と開祖のいる宗教と、教義も戒律もまるで違うもの。
負ってきたものが違いすぎてそれぞれの宗教を理解するのはとても難しいとは思うけども。
相手の背景を思いやることや尊重することは必要なんじゃないのかなー、と。

うまくまとまらないけど、なんとなく思ったことをつらつらと書いておきます。